「ルドルフ ザ・ラスト・キス」


演出で芝居が変わる。
ま よく言われることなんでしょうけれども 
実はあんまりピンときていた訳でもないんですよねぇ 実は。

っていうのも そういう機会がなかったからってのが ま 一番なんですが。
シェークスピアやチェーホフとかって上演され続けてきていて そういうのを見れば
一目瞭然で 演出の違いとかいえるのかもしれないですが 残念ながら
あんまり興味がなくって しっかり観たことがないしなぁ。

歌舞伎とかは 伝統的な型がまずあってなので 演じる役者によって
多少の違いはあれど 演出による変化が入る余地って案外少なそうだし。
まぁ 現役作家の歌舞伎参入とかで 少しは変わってくるかもだけど。

なにより 俺が好きでよく観ているミュージカルは ロングラン作品が多いので
それこそ役者によっての違いはあれど 演出が変わるってないからなぁ。
その都度 ブラッシュアップはしてるんだろうけど 根本が変わることはないし。

だから 初体験なわけです。
演出で芝居が変わる。

変わる っていうと よく変わる場合 悪く変わる場合ってあるもんね。
でも今回は 本当に違う作品を楽しんだって感覚。

「ルドルフ ザ・ラスト・キス」
2008年日本初演なので 既に4年が経つわけですねぇ。
その時の舞台も素晴らしくて めちゃくちゃ印象に残ってるんですよねぇ。
しかも かなり泣いた。(汗)
一緒に行った♀友が ひくぐらいに。
つうか そんなに泣き所があったわけではないみたいなんだけど(♀友曰く)
なんだかツボにハマってしまったんですよねぇ。
だから 再演を願い続けていたんですが 
一般的には そこまで評価が高くなかったんかなぁ。
結構 待たされた感じがしましたねぇ この再演は。

で 再演のニュースは凄く嬉しかったんですが ひとつ気になったのは
演出が 宮本亜門氏からデヴィッド・ルヴォー氏に変わるってことでした。
ま そうは言っても そこまで深く考えてたわけでもないですが。

でも 実際には その演出家の違いが ここまで大きいんだということを
認識することになるわけなんですけども。

それは もう幕が開いた途端に分かるんです。
ってのも 異様に「赤い」んです 舞台が。
床から 緞帳から とにかく赤に染まっています。
もちろん 亜門氏演出の舞台でも舞台装置の素晴らしさは
目に焼き付いていますが それとは明らかに違います。

舞台が進むにつれ その違いは更に顕著に感じられるようになります。
亜門版では ルドルフとマリーとの悲恋により重きが置かれていました。
抒情的という感じの情緒に訴えかけてくる演出だったと記憶しています。
多分 だからこそ俺はあんなに泣けたと思うんですよねぇ。
一方 ルヴォー版では 悲恋はベースにしつつも マリーの強さが
より際立っている印象です。というか マリーに出会ったことでルドルフが
それまでの口先だけの理想主義から抜け出す。そういう意味では
歴史さえも変えさせてしまう強さがルヴォー版のマリーにはあります。
そう考えると ルヴォー版は叙事的ということになるんでしょうか。
歴史により則した演出になっているように感じました。

公演後に パンフレットを読んだところ 今回の再演にあたって
演出はもとより 物語の部分にも大幅に手を入れたそうです。
それで納得。
それは演出の違いってだけでは片付けられない違いが存在したので。

亜門版では マリーに付き添う執事がいて 
この役が俺には凄く印象的だったんです。
特に大きな見せ場もソロもないんですが この人の存在があってこその
号泣だったんだと思う程 俺にとっては大きな役。
それが ルヴォー版では その役自体が消滅してしまってるんですよねぇ。
その代わり 謀略に長けたターフェ首相の存在感が際立っている。
このターフェを演じているのが 大好きな坂元健児さんで それはそれは
今回も素晴らしい歌声で 今回も大満足ではあったんですが・・・。
この辺も 亜門氏とルヴォー氏の違いが出ていて面白いです。

より日本人に馴染みやすいのは 亜門版演出かなぁと思うんですが
ルヴォー版演出のスケール感も捨て難い魅力です。

亜門版の舞台装置は 帝国劇場の奥行を生かしていて見事だったんですが
ルヴォー版は これまた帝国劇場の最大の売りともいうべき回り舞台を
最大限に生かしていて 素晴らしかったんです。
そして 特徴的だったのは 緞帳の使い方。
縦方向に垂らされた2枚と舞台の幅いっぱいの1枚が緻密な動きで
一点に絞ったり そこから大きく広げたり。限定させることで 暗転するこなく
バックでは装置の転換も行えるし視線を集中させることも出来る。
計算されつくされ尽くした装置でした。

ラストは 有名な話なので知ってる方も多いと思いますが
ルドルフとマリーはマイヤーリンクという場所にある別荘で心中します。
ここの演出も興味深かったです。
亜門版は 額縁のように縁取られた別荘の一室で 
白を基調にした衣装のふたりが息絶え 文字通り悲しくも美しい
一枚の絵のような伝説が完成する そんなイメージ。
一方のルヴォー版は □に○をくり抜いたような大きな天蓋の下に
○い赤い板の上に 蝋燭に縁取られた大きなベッド。
最後の蝋燭を二人で吹き消すと拳銃で心中します
ベッドに倒れた二人を乗せたまま 赤い板が 垂直に立ち始めます。
それと同時に天蓋が降りてきて ○くくり抜かれた部分に
○い板が組み合わさり始めます。
ここまで ことごとく大きな違いを見せていた 両氏の演出ですが
意外にも ラストの額縁に収まる演出は同じなんだぁと思ったら。
ま アイディアは同じでも そのテイストはかなーり異なりますがね。
ルヴォー版は その額縁が完成する前に緞帳が降りてきてしまい
結局 額縁は完成することなく終幕となります。
アンコールで幕が開いたら 完成形の額縁という演出かと
一瞬だけ思ったんですが そんなことはなく普通のアンコールでした。
この辺も 面白いですよねぇ。
ルドルフとマリーの心中は他殺説もあったそうです。 
でもそこの真相はどうあれ 最後は心中という道をとったルドルフとマリーを
美しく飾られた絵にはさせないという ルヴォー氏の考えがあったのかなぁ。

最後に このデイヴィッド・ルヴォー氏
全然知らなかったんですが 1990年代から日本でも多数の演出を手掛けていて
その後 世界的に売れっ子の演出家になったそう。

あぁ こうなってくると もう一度 亜門版も上演してくんないものかなぁ。
次の再演(あればだけど)が どちらの演出家になるのか。
はたまた 違った演出家になるのか。
どちらにしても 楽しみに待ちたいっす。